楽しむということ

最近私はあえて楽しむということを避けている気がする。ニコ動見ないとか、テレビ見ないとか、話が盛り上がらないように努めるとか。楽しむということにおいては、常に一線を引いている気がする。おそらく楽しもうと思えば、もっと楽しい、もっと高みに登れると思うのだが、その後に残るのは降下、恥、空しさ、憂鬱、失敗であったりすることを知っていて、それを恐れている。
三大欲求さえ満たせばそれでいいのか。なぜ娯楽施設が存在するのか。無理して楽しむ必要はあるのか。楽しみは共有すべきか。一人じゃなければ楽しめない人は幸せなのか。楽しみをわかちあいたい人を選んでもよいのか。
始めに戻るけども、必要かどうかは置いておいても、とりあえず自分は楽しみ不足を自覚している。具体的な処方箋として、小さな楽しみを大事にすること、もっと大きくはっきりした声で話すことの2点を心がけたいと思っています。

とりあえず

webサーバのSSLまわりの設定は楽しかった。